Friday, April 27, 2012

どうやってQWERTY配列は主流となったか | Yasuokaの日記 | スラッシュドット・ジャパン


ロックインは市場の失敗かにコメントしながら思ったのだが、QWERTY配列に対する誤解をここまで広めた元凶はどうやら、QWERTY-nomicsを提唱したPaul A. Davidのようだ。そこでDavidの『Understanding the Economics of QWERTY』(Economic History and the Modern Economist (1986), pp.30-49)を読んでみたのだが、…あまりに事実誤認が多い。とりあえず、Remington配列(いわゆるQWERTY配列)とCaligraph配列の競争について書かれた

It was not until 1882 that the radical innovation of an eight-finger typing method was put forward by the proprietress of Longley's Shorthand and Typewriter Institute, in Cincinnati. Her pamphlet happened to be 'adapted to Remington's perfected typewriters.' … The challenger, one Louis Taub, proclaimed the superiority of four-finger typing on the Caligraph. … In 1888, when the first public speed-typing competition was organized which put to the test these contending systems, the honor of Mrs. Longley and the Remington was vindicated by a Federal Court stenographer from Salt Lake City who had taught himself to type on a Remington No.1, way back in 1878. Frank E.

差RAIDとは何です
McGurrin, the man who entered the lists as their champion against Louis Taub, already had won fame in demonstrations before gasping audiences throughout the West, because, in addition to deploying the 'all-finger' technique, he had memorized the QWERTY keyboard. … The advent of 'touch' typing, the name coined for McGurrin's method in a manual of typewriter instructions published in 1889, gave rise to three features of the evolving production system that were crucially important in causing QWERTY to become 'locked in' as the dominant keyboard arrangement.

の部分に関して、以下に誤りを指摘する。


RAM ROMは何ですか
  • シンシナティのElizabeth Margaret Vater Longleyは、Remington配列のシンパだったわけではない。確かに彼女は『Type-Writer Lessons for the Use of Teachers and Learners Adapted to Remington's Perfected Type-Writers』を1882年に出版しているが、同じ年に『Caligraph Lessons for the Use of Teachers and Learners Designed to Develop Accurate and Reliable Operators』も出版している。彼女のタイピスト学校では、Remington配列もCaligraph配列も両方とも教えていたと考えられる。
  • ソルトレークシティのFrank E. McGurrinが愛用していたタイプライターは、『Remington No.1』ではなく『Remington No.2』だ。そもそも『Remington No.1』には小文字がないので、当時のタイピング・コンテストのレギュレーションに適合しない。
  • Frank E. McGurrinが勤めていたのは、ソルトレークシティの連邦裁判所(Federal Court)ではなく、ユタ準州の第3地方裁判所(Third District Court)だ。
  • 1888年7月25日にシンシナティで開かれたタイピング・コンテストで、Frank E.
    無線ルート機能は何ですか
    McGurrinが競った相手は、Follett, Hyman & Kelly法律事務所の速記者で、Longley's Shorthand and Typewriting Instituteの講師でもあった、Louis Traubだ。「Taub」ではない。
  • 『McGurrin's Method of Typewriting』の著者は、ソルトレークシティのFrank E. McGurrinではない。著者は、当時カラマズーに住んでいた弟のCharles H.
    McGurrinで、しかも1893年の出版だ。あるいは、ポートランドのBates Torreyが書いた『Practical Typewriting』(Fowler & Wells, 1889年)のことをDavidは言いたいのかもしれないが、参考文献にすら挙げられていないのではっきりしない。

しかしながら『Understanding the Economics of QWERTY』の最大の誤りは、Typewriter Trustの影響を全く考慮していない点にある。1893年3月30日に成立したTypewriter Trustにより、Remington・Caligraph・Smith-Premier・Yost・Densmoreの5社は、Union Typewriter Companyという持ち株会社の傘下に入ることになった。この後、傘下の5社は、QWERTY配列を標準とすることに努めている。Remingtonに次いで売上2位だったCaligraphも例外ではなく、1898年発売の『New Century Caligraph』は、Caligraph配列を捨ててQWERTY配列を採用している。


つまるところ、Typewriter Trustによるタイプライター市場の寡占が、QWERTY配列の寡占を生んだ可能性は極めて高い。もちろん、当時の寡占状況をさらに研究する必要はあるが、QWERTY配列が主流となる道筋においては、Typewriter Trustの影響は無視できないだろう。



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