P・M・C! ぷらいべーと・みりたりー・くらぶ - 追憶 ――お父さんとお母さん――
クリスマスプレゼントはなにがいいかと聞かれて、私は「特大のケーキ!」と答えたのを覚えている。ケーキがプレゼントのうちに入るかどうかは分からないが、お母さんは笑いながら「わかったわ。特大のを用意してあげる」と言ってくれた。
その頃私たち家族は、お父さんの仕事の関係でニューヨークに住んでいた。学校は日本人学校だったから、日本人の友達には困らなかったし、授業だって日本と大して変わりはない。むしろ日本よりおおらかで、私にはこちらの生活の方が合っているとすら思えるほどだった。
英語も実際に住んでみたら案外何とかなるもので、いつの間にか私はニューヨークの街自体が大好きになっていた。
そう、あの事件があるまでは。
あの日、お父さんとお母さんが連れ立って買い物に出かけるのを、私はアパートメントの前まで見送った。大型のショッピングモールで、買い物を兼ねて夫婦でデートというわけだ。
「静香、クリスマスには特大のケーキ、楽しみにしててね」
「お母さん、静香がぶくぶくに太ったらどうするんだ?」
「もう、お父さん! 私そんなに太らないもん!」
いつもの軽口。いつも通りの会話。それがまさか最後の会話になるなんて、一体誰が想像しただろうか。路地を曲がっていくまでお父さんとお母さんを見送った私は、学校の宿題を片付けるべく部屋へと戻った。
数学と英語と国語。宿題ってなんでこんなに多いんだろうと思いながらも片付けていく。私は勉強が嫌いじゃなかったから、ある意味問題集を解くのはパズルと同じ感覚だった。だが、どんなに面白いパズルでも、やり過ぎれば頭は疲れる。
「少し休憩しよっと。ココアあったかな?」
私はキッチンに向かう前にリビングのテレビをつけた。画面にはクイズ番組が映し出されていた。テレビもいいけど、とりあえず甘い物だ。私はキッチンの棚を漁ってココアを発見すると、自分の好みの甘さになるように入れた。ココアの入ったマグカップを両手で包むようにしてリビングにもどる。そこで、私は信じられない光景を目にすることになった。
クイズ番組だったはずの画面には、ビルが全壊している映像が映し出されていた。画面の隅には『LIVE』の文字がある。なんだこれ。ビルが……全壊? それに、このビルって……お父さんとお母さんが向かったショッピングモールによく似ている。崩れていない部分が。
レポーターが早口でまくし立てる。強力な爆弾を使った無差別テロだと。死者多数、負傷者多数。私はいつの間にかマグカップを落としていた事に気づいた。いや、落としたことにすら気づかないほど動揺していたのだ。
慌てて自分の部屋に戻って、携帯電話を手に取る。連絡先からお父さんの番号を選ぶ。手が震えて上手く操作出来ない。何度も失敗して、やっと通話ボタンを押す。
『おかけになった電話は電波の届かないところにいらっしゃるか、電源が入っていないためかかりません。おかけになった電話は……』
続けてお母さんの電話にもかける。だが、同じ自動メッセージが流れるだけで、電話は繋がらない。私は携帯をもったままリビングに戻った。テレビの画面の中では、血まみれの負傷者が次々と救急車で運ばれて行く。そのとき、突然私の携帯電話が着信音を鳴らし始めた。
「は、はい」
『シズカか? 私だ。ジョン・オルドリッジだ。お父さんの同僚の』
「おじさま……、なにがあったんですか?」
オルドリッジおじさんは、私のお父さんの会社の同僚だ。今日も奥さんのジェミーおばさんと一緒に、子供のヘンリーのためのクリスマスプレゼントを買いに行くと言っていた。
『シズカ、いいかい、落ち着いて聞いてくれ。ショッピングモールが爆破されたんだ。ユウゾウとアヤカは……爆破されたショッピングモールにいた。私はちょっと用事が出来て、ジェミーと一緒に外に出ていたんだ。私たちがショッピングモールを出てからしばらくして、爆発が起きた……』
「それって、お父さんとお母さんはあの瓦礫の中にいるっていうことですか……?」
『テレビで見たんだな……。そうだ、ユウゾウとアヤカは……あの中だ』
その後のことはよく覚えていない。ただ覚えているのは、気づいたら警察の非常線が張られた爆破現場に立っていたことだった。真冬に、コートも着ずに、私はただ呆然とお父さんとお母さんがいるはずの『ショッピングモールだった』瓦礫の山を見つめていた。
「シズカ!」
私は最初その呼びかけが自分に向けられていることすら気づかなかった。ただ全身を震わせて、携帯電話を握りしめていた。寒いから震えているんじゃない。ついさっき、いつものように軽口をきいて送り出した両親が、今はあの瓦礫の下にいる。その事実にただ震えていたのだ。
「シズカ! しっかりしろ!」
私の両肩を大柄な白人の男性が掴んで強く揺さぶる。その顔には確かに見覚えがあった。
「おじさま……、お父さんと、お母さんが……。電話にも出なくて……」
「ユウゾウとアヤカは……おそらくもうダメだろう」
「嘘ッ! そんなはずない! だって、さっき、ついさっきアパートメントの前まで見送ったのに! クリスマスには特大のケーキを用意してくれるって言ったのに! お父さんとお母さんが約束をやぶるはずなんてない! こんなの、絶対に嘘よッ!」
半狂乱になって叫ぶ私を、オルドリッジおじさんは強く抱きしめた。それでも私は暴れ続けた。涙が溢れて目の前が霞んでくる。やがて頭の中が真っ白になり、私は意識を失った。
***
私が目を覚ましたのは、白い天井の殺風景な部屋だった。糊のきいたシーツの上に寝かされ、腕には点滴の針が刺さっている。ああ、そうか。私は倒れたんだと、その時になってようやく理解した。ここは病院のベッドの上なのだ。病院にはオルドリッジおじさんが運んでくれたらしい。しばらくするとおじさんと彼の息子のヘンリーが見舞いにやってきた。ヘンリーはまだ七歳で、私を本当の姉のように慕ってくれていた。
「気がついたか、シズカ。ドクターは目が醒めて点滴が終わったら帰っていいと言っているよ。私が車でアパートメントまで送ろう」
「いえ……、私、歩いて帰ります」
「シズカ……」
「お願いです。すこし、一人にして下さい」
オルドリッジおじさんは、少し苦しげな表情をみせたあと、私の願いを聞いてくれた。
「分かった。とにかくドクターを呼んでくるよ。医療費は私が出しておく。とにかくアパートメントに帰って、今はゆっくり休みなさい」
休めるはずなんてない、とは言えなかった。オルドリッジおじさんにとって、私のお父さんは親友といえる存在だったはずだ。その安否が分からないのだから、本当に叫び出したいのは、きっとオルドリッジおじさんも同じだっただろう。
アパートメントに戻ると、私はドアの鍵をかけ、リビングへと向かった。テレビはつけっぱなしになっていた。それはそうだ。電源を切る余裕なんてなかったのだから。部屋着のままで現場のショッピングモールまで走って行ったほど、私は冷静さをうしなっていたのだから。
私は医師が処方してくれた強い抗不安剤と睡眠導入剤を飲み、ソファーで横になった。やがて薬が効いてきて、私は深い眠りに引きずり込まれていった。
『先日のショッピングモール爆破に関して、テロリストグループからの犯行声明が出されました。通称"ホスロー"と呼ばれる指導者に率いられたこのグループは、先日のショッピングモール爆破以外にも、航空機爆破などの大規模テロを実行している危険な集団として連邦捜査局や軍部から警戒されていました。その警戒の隙間を狙った今回の事件での犠牲者の正確な数は、未だ把握されていません。それでは、次のニュースです……」
私はアパートメントに帰ってから食事もとらず、携帯電話が鳴ることを必死に祈っていた。もしかしたら、瓦礫の隙間でお父さんとお母さんが生きていてくれるかもしれない。そんな僅かな望みにすがりついていたのだ。だが、日を追うにつれ、事件の全容が露わになっていった。使用された爆薬の総量は、ショッピングモールをただ爆破するだけでなく、その内部にいた人間を皆殺しに出来るほどのものだったこと。そして……決定的だったのはニューヨーク市警察からの電話連絡だった。
『ユウゾウ・ミヤタさんのご家族の方ですか? 私はニューヨーク市警のトマス・アンダーソンと申します。実は、ミヤタ氏の持ち物と思われる手帳が発見されまして、ご遺体の一部らしいものが付着しているのです。DNA鑑定のためにご協力いただきたいのですが、署までおいでいただけますか?』
遺体の『一部』という言葉を聞いて、ああ、お父さんはもうこの世にはいないのだ。おそらくお母さんも同じ目に遭ったのだ。そう確信した。私は警察署に赴き、DNA鑑定のために細胞の提供を行った。
結果は二週間後、私に伝えられた。手帳に付着していた肉片は、お父さんのものとお母さんのものだった。私は再び警察署を訪れ、お父さんの遺品となった手帳を受け取った。血のついたページには、私へのクリスマスプレゼントに、シルバーのネックレスを贈ろうというメモ書きが残されていた。
遺体は結局発見されなかった。警察の説明では、両親は爆発物のすぐ近くにいたらしい。手帳は飛ばされてかなり離れた場所に落ちていたそうだ。もはや涙も涸れ果てた私は、受け取りの書類にサインすると、警察署をあとにした。警察署の玄関を出た私を待っていたのは、オルドリッジおじさんだった。
「シズカ……。なんと言っていいのか私には分からない。だが、私には君を放っておくことは出来ない。どうだろう、君さえよければ私の子にならないか? ヘンリーも君が姉になると知ったらきっと喜ぶ。ジェミーも賛成してくれてるんだ。すぐに答えを出せとは言わない。だが、これだけは覚えておいて欲しい。私はユウゾウとアヤカの親友のつもりだ。だから、君を自分の娘のように思っている。答えが出たら、私に連絡してくれ」
私には、もう頼れる両親がいない。叔父さんがいるけれど、離婚したばかりで子供を引き取るどころの話じゃないだろう。従妹のかえでは叔母さんが引き取ったらしいけれど、叔母さんだって女手一つでかえでを学校にやらなければならないのだ。つまるところ、私に残された選択肢はオルドリッジおじさんの申し出を受けることだけだった。
私は悩みに悩んだ。両親の葬儀も行わなければならない。DNA鑑定で、その死がほぼ間違いないことが分かっていたからだ。でも、遺体もないのに、どうやって葬儀なんてするんだろう。お墓は日本に作るべきじゃないのか? 宮田家の墓に、お父さんとお母さんのお骨を入れてあげたいけれど、それはもう叶わない。
本当はお父さんとお母さんを追いかけて死んでしまいたかった。その方がずっと楽だと思った。でも、そのころ私には一つの目標が出来ていた。あの事件を首謀したテロリスト……、通称『ホスロー』を必ず見つけ出す。見つけ出してどうするのかなんて分からない。もしかしたら自分が死体になるだけなのかもしれない。それでも『ヤツ』を見つけるまでは生きていようと、私は決めた。
携帯電話の連絡先からオルドリッジおじさんの電話番号を呼び出す。通話ボタンを押してしばらく待つ。呼び出し音が数回鳴ったあと、聞き慣れた低いオルドリッジおじさんの声が電話機越しに聞こえてきた。
『シズカかい? 少しは落ち着いたかね?』
「はい、おじさま。……私、おじさまのところでお世話になろうかと思います」
『そうか! ユウゾウとアヤカも少しは安心してくれるだろう。ところで……葬儀はどうするんだい?』
「遺品の手帳を、日本の宮田家のお墓に入れてこようと思います。葬儀はなしで……」
『それで、いいのかい?』
「はい。学校の冬休みが終わるまでに、一回宮田家の菩提寺に行ってくるつもりです」
『分かった。帰りを待っているよ。ジェミーにも報告しておかなきゃな。シズカがうちの娘になるって』
「ジェミーおばさまは何も?」
『なにを言うっていうんだい? 二人で話し合った結果、シズカを引き取ろうっていう話になったんだ。反対するわけがないだろう?』
「ありがとう……ございます」
『日本へはいつ?』
「明日の便が取れました。しばらく留守にしますけど、帰ってきたら電話します」
***
数年ぶりに帰る日本は、ちょっと見ない間にいろんなところが変わっていた。宮田家の菩提寺がある地方都市も、すっかり過疎化が進んでいて、あれだけ賑やかだった駅前の商店街も、シャッターを閉めた店舗ばかりが目立つ。私はお父さんの遺品となった手帳を手に、雪の降る中を寺へと向かった。
寺の住職は私のことを覚えていてくれた。アメリカでのテロで両親が亡くなったこと、遺品が手帳一つで、これを墓に入れたいことを伝えると、住職は快く承諾してくれた。手帳を住職に預け、私は宮田家の墓の前に立った。私には霊がいるかなど分からない。だから、この下に先祖の霊が眠っているかどうかなんてことも分からない。
それでも、きっとお父さんとお母さんはここに来たいはずだと、何故か私はそう確信していた。矛盾しているのは自分でも分かっている。買ってきた線香に火をつけ、いるかどうかも分からない先祖の霊に祈る。どうか、お父さんとお母さんが、そちらで幸せでありますようにと。
住職が「寒いから甘酒でもどうか」と言ってくれたが、私はその日のうちにアメリカに戻らなければならないことを告げ、遺品の手帳のことを重ねて頼み、寺をあとにした。滞在時間は一日にも満たない、駆け足での帰国だった。だが、私にはそれで十分だった。
夜、ニューヨークへ向かう便に乗ったあと、私は一枚だけ手帳から破り取ったページを財布から取り出した。そこには『静香へのプレゼントは銀のネックレス』と走り書きされていた。これが、お父さんとお母さんの最後のメッセージ。だから、このページだけは取っておきたかったのだ。一二時間のフライトの後、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に到着してすぐ、私はオルドリッジおじさんに電話を入れた。
『シズカか! 今着いたのかい?』
「はい。いま入国手続きが終わりました」
『そうか。車で迎えに行こうか?』
「いえ、リムジンバスでマンハッタンまで出ます。そこからは地下鉄で」
『そうか。ところでシズカ、アパートメントは引き払わなくていいからね』
「えっ?」
『君とユウゾウとアヤカの想い出が詰まったアパートメントだ。シズカがこの国にいる間は、そのままにしておこう』
私はてっきりアパートメントは引き払わなくてはならないと思い込んでいた。だが、オルドリッジおじさんは家賃を払い続けてでもそのままにしてくれるというのだ。
「でも、そんなことまでしていただくわけには……」
『シズカ、君はもう私たちの娘なんだよ。これは私が親として君に最初にしてあげられることなんだ。もちろんジェミーも賛成さ』
低く優しい声が電話機越しに私の鼓膜を震わせる。ああ、私には新しい家族が出来るんだ。お父さん、お母さん、私のことは心配しないで。どうか安らかに眠って下さい。頬を熱い滴が伝う。私は空港のターミナルで、声を殺して泣いた。
その日、私は『宮田静香』から『シズカ・ミヤタ・オルドリッジ』に名前を変えた。
***
中学を卒業すると同時に、私はお父さんとお母さん――オルドリッジ夫妻のことだ――の反対を押し切って、傭兵キャンプの門を叩いた。私は両親の命を奪ったテロリズムを許さない。たとえ『ヤツ』が捕まったとしても、第二第三の『ヤツ』が現れるに違いない。私はそれに抗う力が欲しかった。そのために、私は戦う術を身につけ、私の考えに賛同してくれる仲間を募ることにしたのだ。
その舞台は、未だ戦闘任務を請け負う民間軍事会社のない日本が最適に思われた。私の故郷であり、テロに対して脆弱な国家。そこで私はかけがえのない仲間たちと出会う事になる。
だが、この時の私はまだそんなことを想像すらしていなかった。
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